猫の本棚名作紹介ブログ

古今東西の名作を日々の雑感もまじえ紹介します。読書で人生を豊かに。

パルタイ

#パルタイ

#倉橋由美子

#新潮文庫

 

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カフカカミュの影響がみられる処女作品集。

 


▶︎パルタイ  昭和35年1月

 

 

 

革命を目指す「パルタイ」に参加した「わたし」。

 


パルタイはどこかに実在し、奇妙に複雑なメカニズムで動いており、たえずのびちぢみしてはわたしのような個人をのみこみまた吐きだしているにちがいない。しかしその存在は非常に抽象的なものだ。そしてそれがさまざまな≪掟≫と≪秘儀≫の総体からなっていることは、わたしにはある種の宗教団体と同じにみえるほどだ。‥‥」

 


わたしのもとには赤いパルタイ員証が届くが、わたしはパルタイから出る手続きをしようと決意する。

 


*     *     *

パルタイ(パーティ、党)は、ここではかつての日本共産党だが、いつどこにでも、サークルやオウム真理教などの新興宗教といった形でパルタイは実在し、若者はのみこまれていく。

 

 

 

▶︎非人

しっぽのある非人たちの世界の不条理劇。

『異邦人』のような顛末。

 


▶︎貝の中

歯科の女子学生寮の生活を倉橋由美子らしい生々しい身体表現で描く。後半主人公と革命党員の彼との関係が描かれ文体も変わり、愛とか嫉妬という感情に主人公が屈する。

 


▶︎蛇

蛇をのみこんでしまった寮生K。

革命党員Sは、当局の陰謀の犠牲となって蛇にのまれたことにすべきだという。最後、寮生Kの口から蛇が頭を出し、蛇をのみこんでいるKを蛇がのみこむという荒唐無稽な展開に。

 


▶︎密告

上述の作品は、いずれも臭気、排泄物、吐物、分泌物といった描写があるのだが、この短編では僅かにある程度で、珍しく、「美しい」という言葉が出てくる。

 

出家とその弟子

#出家とその弟子 

#倉田百三 1891-1943

岩波文庫 

 


▶︎青年たちの熱狂的な支持を得て、夏目漱石の『こころ』とならび創業まもない岩波書店の大ベストセラーとなった。作者26歳の時の作品。

 

先日インスタにポストした北杜夫の『楡家の人びと』の中で、学業成績今ひとつの長男・欧州が妹・桃子に西田先生の『善の研究』や夏目漱石の(!)『出家とその弟子』を読むべきだと教え、やはり今ひとつな桃子が本屋に行くと、そんな本はないと言われるくだりがあった。

 以前から読みたい本だったのを思い出し、本屋で「倉田百三」の『出家‥‥』を購入した。

 

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▶︎本書の原型のような作者の半生

 


 本題に入る前に少し倉田百三の執筆の背景について紹介しておきたい。(解題:鈴木憲久およびWikipedia より)

 


 倉田百三広島県庄原に生まれた。

 百三が通学のため下宿していた叔母の家は熱心な浄土真宗の信徒だった。百三はその影響を受けて、親鸞の『歎異抄』をよく読んでいた。

 第一高等学校に進み文芸部に所属し、同期には芥川龍之介菊池寛らがいた。在学中、哲学者・西田幾多郎の『善の研究』に感銘を受け、京都に西田を訪ねている。

 ところが、失恋の影響で落第し、さらに肺結核を発症し退学することになる。

 故郷に帰り療養生活中、キリスト教にも興味をもつようになる。

 そして、京都の一燈園という一種の宗教的共同体である社会奉仕活動団体に妹とともに入るが、徹底的な禁欲主義は心の葛藤を引き起こし、労働は身体の負担となり肺結核の悪化により園を出る。

 翌年同棲していた女性が妊娠。

 同じ年、4番目の姉が産後の肥立が悪く亡くなる。同じ月に別の姉も亡くなる。さらに祖母も亡くなる。『出家とその弟子』の執筆に着手し、12月に完成する。

 


 4番目の姉は臨終に際して親族を枕元に集め、別れの言葉と父母への感謝を口にした後、皆に念仏するよう頼み、一同の念仏の声に包まれて静かに息を引き取った。父は泣きながら「お前は見上げたものだ。このような美しい臨終はない」と言ったという。百三もこの死に深く感銘を受けた。

1917年(26歳) このような、いくつかの宗教や哲学への傾倒、肉親の相次ぐ死、自身の生命の危機を背景にこの戯曲は生まれた。息子もこの年に生まれる。

親鸞のモデルは、作者が入園していた一種の宗教的共同体である社会奉仕活動団体『一燈園』の代表指導者、弟子唯円は作者自身だとされる。


▶︎出家とその弟子

恋愛劇であり、思想宗教作品である。

親鸞の弟子唯円と遊女かえでとの恋を中心に

親鸞の教えとその死が描かれる。

 


カミュを読んだばかりなので、その言葉を借りて言えば、登場人物は不条理な立場にいる人ばかりである。この作品の序曲は「死ぬるもの」(モータル、死ぬ運命にあるもの)というタイトルで、人間は「(生き物同士の)共食いをしなくては生きることが出来ず、姦淫しなければ産むことが出来ぬようにつくられている」と述べられている。人間は存在そのものが罪であり死ぬべき運命の存在である、その不条理をどう生きるかがテーマの作品だ。

 


 親鸞は人生の「淋しさ」に対する向き合い方について唯円にこう諭す。

「淋しいときは淋しがるがいい。運命がお前を育てているのだよ。ただ何事も一すじの心で真面目にやれ。ひねくれたり、ごまかしたり、自分を欺いたりしないで、自分の心の願いに忠実に従え。」

 


 登場場面は少ないが重要な人物である親鸞の息子善鸞に興味が湧いた。善鸞は放蕩で素行不良の上、浄土門の信心に反対し親鸞から勘当され、茨城県の稲田にいる。親鸞の教えによれば悪人でも救われるから悪いこともしてやれ、というわけでもなさそうなので弟子たちは理解に苦しんでいる。

 


 そんな善鸞が上洛した折、鴨川に臨む遊女屋に唯円を呼び出す。善鸞もまた淋しくてたまらず、誰も自分の心を理解してくれる人はいないが、唯円は、自分を受け容れてくれるような気がしたからだった。

 善鸞唯円に打ち明ける。

勘当になったのは、人妻と恋をしたからだった。その女は結婚する前から善鸞と恋仲だったのだが、この世の義理が二人を引き裂いたのだった。そして女は間もなく病気になって亡くなるのだった。

 善鸞は、この出来事の責任を誰に負わせるべきなのかがわからない、人生の不調和のせいだと思う、この世界をつくったもの、仏があるならば罪は仏のせいだと思うという。自分は何も信じられなくなり、すっかり汚れてしまったが、このような自分をそのまま助けてくれと願うほどあつかましくはなっていない。それがせめてもの良心だ。むしろ難行苦行をすれば助けてやるといってほしい、と。

 


 唯円はこの席でかえでを知り、恋をするようになるが、相手が遊女ということで、他の弟子たちから非難される。弟子の一人が親鸞唯円を追放するか自分が出ていくか決めてくれ直訴すると、親鸞は双方それぞれを説諭し、唯円の恋は成就する。

 

 

 

 15年ほどの月日が過ぎ親鸞は死を迎えようとしている。

 


 親鸞は臨終になってようやく勘当をとき善鸞がかけつける。

 唯円と結婚し今は勝信となったかえでは、善鸞に、この世を去ろうとしている父親を安心させるために仏を信じていると言うよう頼む。

 

 親鸞には、曼荼羅華がふり、美しく荘厳な浄土が見えてきた。

「お前は仏様を信じるか」「‥‥」「信じるといってくれ。最期に安心を与えてくれ。」「‥‥」

一座緊張する。勝信は蒼白になる。

 自分の気持ちを偽ることのできない善鸞は、苦悶し絶望的に「わかりません‥‥きめられません。」といって救いを拒んだ。

 親鸞は絶望し、一座動揺する。

 しかし、親鸞の表情は次第に穏やかになり、「それでよいのじゃ。みな助かっているのじゃ‥‥善い、調和した世界じゃ。」

といって魂は極楽浄土にかえっていった。

 


*     *     *     *

仏を信じないという善鸞との対立を描いたのは、親鸞の思想の限界や、お互いに頑固な父子の姿も見ることができ作品に緊張感と深みを与えており、完全調和でなくてよかったと思う。


 

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#本のある暮らし

シーシュポスの神話④ 不条理な論証 哲学上の自殺

 

#不条理な論証


*l’absurd

 

 「不条理」というと難解なので、「理不尽」と直して理解に努めていたが、もっとぴったりな訳が見つかった。「ばかげた」である。これだと荒唐無稽という意味も含んでいる。

 


▶︎実存哲学の考えーシェストフとキルケゴール2人の『飛躍』

 シェストフは実存主義に通じる絶望の哲学を展開した。カミュは彼の「唯一の真の突破口は、まさしく、人間の判断するかぎり突破口など存在しない所にある。そうでなければ、どうしてわれわれは神を必要としよう。ひとが神へと向うのは、ただ、不可能事を獲得したいためにほかならない。可能事についてなら、人間でこと足りる。」という言葉にその哲学が要約されているという。

シェストフは決して「ここに不条理がある」とは言わず、「ここに神がある。たとえ神がわれわれの理性的範疇のいかなるものにも合致しなくても、なお、神に身を委ねるのがいいことなのだ」と語る。

 神の偉大さは、その矛盾にある。神の存在を証明するのは、その非人間性である。神の中へ飛び込み、この飛躍によって理性にもとづく幻から解放されなければならない、ということで、シェストフにとっては、不条理を確認することとは不条理を受け入れることである、とカミュは述べる。

シェストフは不条理を真実、あるいは贖いと呼び不条理に賛意を示しているが、カミュの考えによれば、不条理が存続するためには、不条理に同意しないことが必要である。

 カミュは、シェストフにおける神の身に委ねる飛躍は逃避だとする。不条理はふたつのものの均衡状態においてしか価値を持たないが、シェストフは一方に全部の重みをかけてしまっていると批判する。

 キルケゴールもまた飛躍を行う。彼は反抗の叫びをあげるかわりに、何ものかにすがった。彼は病から癒えることを絶望的な努力をし、これまで自分を照らし導いてきた不条理を無視し、

苦しまぎれに無理な逃げ道を考え出して、非合理的なものを神とするにいたった。

 


 これらの態度を哲学上の自殺と呼ばせていただこう、とカミュは言う。

 

 


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シーシュポスの神話③ 不条理な論証 不条理な壁  

 ふと、舞台装置が崩壊することがある。起床、電車、会社や工場での4時間、食事、電車、4時間の仕事、食事、睡眠、同じリズムで流れてゆく月火水木金土、ー機械的な生活の果てに倦怠がありある日、≪なぜ≫という問いが頭をもたげる。すると意識の運動が≪はじまる≫。これが不条理の起源である。

 


 また、私たちは未来を当てにして生きている。時間がいつも同じように自分たちをささえてくれていると思っている。「明日」とか、「あとで」とか、「歳をとればおまえにも解るさ」とか言いながら。いつかは死ぬというのに。

 実際には、私たちは時間に従属している。そして時間こそ自分の最悪の敵だと気がつくのだ。現実にはかれの全存在が明日になるということを拒んでいたはずなのに。こういう肉体の反抗、それも「不条理」だ。

 


さらに、

「この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死に物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態」を「不条理」という。不条理はこうした対立関係のことだが、この両者を結ぶのも不条理である。

 


 世界は理性で割り切れないものであふれている。だから哲学者たちは明徹な視力を保持し、自分を取りまく壁を認識するしかないと競い合って宣言する。

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シーシュポスの神話② 不条理な論証 不条理と自殺

#不条理な論証

#カミュ

 

▶︎真に重大な哲学上の問題

それは自殺ということだ。

人生が生きるに値するか否か、人生の意義を判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである。

あらゆる本質的な問題について、ー本質的問題とは、ときにひとを死なしめるかもしれぬ問題、あるいは生きる情熱を十倍にもする問題をいうのだがーおそらく思考方法はふたつしかない。ラ・パリス的な思考方法とドン・キホーテ的な思考方法とである。つまり明証性と情熱的態度との均衡によってのみ、ぼくらは感動と明晰とに同時に至ることができる。

 


 ここでまず問題にしようとしているのは、個人の思考と自殺との関係である。自殺という動作は、偉大な作品と同じく、ひとの心の内部で準備される。

 では、どのような感覚が自殺へと向かわせるのか。説明できる世界は、親しみやすい世界だが、反対に、幻と光を突然奪われた宇宙の中で、人間は異邦人と感じる。人間とその生との、俳優とその舞台との断絶を感じとる、これが不条理性の感覚である。

 この試論の主題は、まさしく、不条理と自殺との間の関係、自殺がどこまで不条理の解決となるかということである。

 


▶︎≪体をかわす≫とは

「たくみに体をかわす」動き、それは希望である。死後にもうひとつの生を「ご褒美として生きられる」ようにならなければいけないと考えて、そのもうひとつの生を希望する、いやそれは希望というよりはむしろ欺瞞だ、生そのもののために生きるのではなくて、生を超えたなんらかの偉大な観念、生を鈍化し、生にひとつの意義をあたえ、そして生を裏切ってしまう偉大な観念のために生きている人びとの欺瞞なのだ。

(「狭き門」のアリサのような人のことを言っているのだな)

人生が生きるに値しないから人は自殺するのだ、これは自明の理である。しかしこのように生存を侮辱し、このような否認の中へと投げ込んでしまうのは、生存にはいささかも意義のないということから由来するのか。生存の不条理性は、ひとが希望あるいは自殺によってそこから逃れることを要求するものなのか。これこそ何よりも優先すべき問題である。

 


 この問題を考えるには不条理な論証によるしかないが、この論証をきびしくつらぬくには真の努力が必要だ。

 

 

 

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シーシュポスの神話① カミュの『不条理』とは

カミュの『不条理』とは

翻訳者である清水徹氏の付記によれば、

 


 基本的には、形容詞 absurde を「不条理な」、名刺 l’absurde を「不条理」と訳している。


 普通のフランス語としては、absurde とは「なんとも筋道の通らない」「意味をなさない」「荒唐無稽な」という意味で、つまり、論理や常識を破っているばかりか、それ自体として矛盾しているためとても考えられないような状態や行為に対して言われる言葉である。

 たとえていえば、水に濡れないつもりで川の中に飛びこむーこれが absurde な行為なのだ。

 だから、この一部の表題 raisonnement absurde にしても「不条理な論証」と訳したが「理屈にならない理屈」「なんとも筋道の通らない論証」というような意味になるだろう。


 ところでカミュは、この l’absurde を特別な使い方をして、「この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死に物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態」を「不条理」という。不条理はこうした対立関係のことだと説明している。とすれば、こうした定義不可能なものーなぜなら定義するとは理性の領域内での仕事であり、「不条理」は理性の外にある一関係なのだからーを出発点として、そこから出てくる帰結をさぐる、それは通常の論理の手続きを超えており、当然「理屈にならない理屈」「論理的論証とはならないが、それでもあろうとする「論証」の形をとるだろう。

「不条理な論証」raisonnement absurde の意味をここまでひろげても間違いではあるまい。


おそらくカミュは「不条理な」という言葉に独特な力と重さを加えてかれの基本概念としている。

 だから読者はこの言葉に対し、もともとの意味に加え「≪不条理な≫状態にある」あるいは「≪不条理な≫状態にある人間から発した」という意味で読んでいただきたい。

とのことです。

不条理に明確な定義は、少なくともカミュの文学上は困難ということでしょうか‥必要性もないのでは?小説の中に「不条理」という言葉はいらないですし。

 

不条理というと凄くむずかしく感じるので、わたしは頭の中で、自分がよく用いる「理不尽」に置き換えています。「荒唐無稽な」というニュアンスには欠けますが‥‥

どうしても不条理と言われても、何もイメージが湧かないのです。

 

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#ドイツ文学

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#読書記録

 

 

 

 

 

『ペスト』カミュ

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カミュ1957年戦後では最年少の43才でノーベル文学賞を受賞、1960年交通事故で亡くなった。


物語は、フランスの植民地であるアルジェリアのオラン市をペストが襲う。194*年4月最初の死者が確認されてから、流行が収束しロックダウンが解除される翌年の2月まで、主人公の医師、判事、神父、新聞記者、様々な登場人物が次第に連帯しながら災禍に立ち向かう姿をドキュメンタリータッチで描く。

すべてのエピソードがコロナ禍の現状と重なり、リアルに感じらる。

私が特に印象に残ったのは、判事の息子が感染し、実験的な血清療法を受け苦しみながら亡くなった場面。父親の判事は隔離され、死に目にも会えなかった。

それまで、ペスト禍は罪深き人間への報いだと説いていた神父は、何の罪もない子供が苦しんで死ぬのを目の当たりにして考えを変える。


実際に起きたことなのか?と思わず調べたが、

オラン市で実際にペストが発生したわけではない。

物語の最後、歓喜に沸く町で、医師リウーは思う。ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもない。‥‥おそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストがふたたびその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろう。


#ペスト #カミュ #読書 #読書記録 #本 #小説 #フランス文学