猫の本棚名作紹介ブログ

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出家とその弟子

#出家とその弟子 

#倉田百三 1891-1943

岩波文庫 

 


▶︎青年たちの熱狂的な支持を得て、夏目漱石の『こころ』とならび創業まもない岩波書店の大ベストセラーとなった。作者26歳の時の作品。

 

先日インスタにポストした北杜夫の『楡家の人びと』の中で、学業成績今ひとつの長男・欧州が妹・桃子に西田先生の『善の研究』や夏目漱石の(!)『出家とその弟子』を読むべきだと教え、やはり今ひとつな桃子が本屋に行くと、そんな本はないと言われるくだりがあった。

 以前から読みたい本だったのを思い出し、本屋で「倉田百三」の『出家‥‥』を購入した。

 

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▶︎本書の原型のような作者の半生

 


 本題に入る前に少し倉田百三の執筆の背景について紹介しておきたい。(解題:鈴木憲久およびWikipedia より)

 


 倉田百三広島県庄原に生まれた。

 百三が通学のため下宿していた叔母の家は熱心な浄土真宗の信徒だった。百三はその影響を受けて、親鸞の『歎異抄』をよく読んでいた。

 第一高等学校に進み文芸部に所属し、同期には芥川龍之介菊池寛らがいた。在学中、哲学者・西田幾多郎の『善の研究』に感銘を受け、京都に西田を訪ねている。

 ところが、失恋の影響で落第し、さらに肺結核を発症し退学することになる。

 故郷に帰り療養生活中、キリスト教にも興味をもつようになる。

 そして、京都の一燈園という一種の宗教的共同体である社会奉仕活動団体に妹とともに入るが、徹底的な禁欲主義は心の葛藤を引き起こし、労働は身体の負担となり肺結核の悪化により園を出る。

 翌年同棲していた女性が妊娠。

 同じ年、4番目の姉が産後の肥立が悪く亡くなる。同じ月に別の姉も亡くなる。さらに祖母も亡くなる。『出家とその弟子』の執筆に着手し、12月に完成する。

 


 4番目の姉は臨終に際して親族を枕元に集め、別れの言葉と父母への感謝を口にした後、皆に念仏するよう頼み、一同の念仏の声に包まれて静かに息を引き取った。父は泣きながら「お前は見上げたものだ。このような美しい臨終はない」と言ったという。百三もこの死に深く感銘を受けた。

1917年(26歳) このような、いくつかの宗教や哲学への傾倒、肉親の相次ぐ死、自身の生命の危機を背景にこの戯曲は生まれた。息子もこの年に生まれる。

親鸞のモデルは、作者が入園していた一種の宗教的共同体である社会奉仕活動団体『一燈園』の代表指導者、弟子唯円は作者自身だとされる。


▶︎出家とその弟子

恋愛劇であり、思想宗教作品である。

親鸞の弟子唯円と遊女かえでとの恋を中心に

親鸞の教えとその死が描かれる。

 


カミュを読んだばかりなので、その言葉を借りて言えば、登場人物は不条理な立場にいる人ばかりである。この作品の序曲は「死ぬるもの」(モータル、死ぬ運命にあるもの)というタイトルで、人間は「(生き物同士の)共食いをしなくては生きることが出来ず、姦淫しなければ産むことが出来ぬようにつくられている」と述べられている。人間は存在そのものが罪であり死ぬべき運命の存在である、その不条理をどう生きるかがテーマの作品だ。

 


 親鸞は人生の「淋しさ」に対する向き合い方について唯円にこう諭す。

「淋しいときは淋しがるがいい。運命がお前を育てているのだよ。ただ何事も一すじの心で真面目にやれ。ひねくれたり、ごまかしたり、自分を欺いたりしないで、自分の心の願いに忠実に従え。」

 


 登場場面は少ないが重要な人物である親鸞の息子善鸞に興味が湧いた。善鸞は放蕩で素行不良の上、浄土門の信心に反対し親鸞から勘当され、茨城県の稲田にいる。親鸞の教えによれば悪人でも救われるから悪いこともしてやれ、というわけでもなさそうなので弟子たちは理解に苦しんでいる。

 


 そんな善鸞が上洛した折、鴨川に臨む遊女屋に唯円を呼び出す。善鸞もまた淋しくてたまらず、誰も自分の心を理解してくれる人はいないが、唯円は、自分を受け容れてくれるような気がしたからだった。

 善鸞唯円に打ち明ける。

勘当になったのは、人妻と恋をしたからだった。その女は結婚する前から善鸞と恋仲だったのだが、この世の義理が二人を引き裂いたのだった。そして女は間もなく病気になって亡くなるのだった。

 善鸞は、この出来事の責任を誰に負わせるべきなのかがわからない、人生の不調和のせいだと思う、この世界をつくったもの、仏があるならば罪は仏のせいだと思うという。自分は何も信じられなくなり、すっかり汚れてしまったが、このような自分をそのまま助けてくれと願うほどあつかましくはなっていない。それがせめてもの良心だ。むしろ難行苦行をすれば助けてやるといってほしい、と。

 


 唯円はこの席でかえでを知り、恋をするようになるが、相手が遊女ということで、他の弟子たちから非難される。弟子の一人が親鸞唯円を追放するか自分が出ていくか決めてくれ直訴すると、親鸞は双方それぞれを説諭し、唯円の恋は成就する。

 

 

 

 15年ほどの月日が過ぎ親鸞は死を迎えようとしている。

 


 親鸞は臨終になってようやく勘当をとき善鸞がかけつける。

 唯円と結婚し今は勝信となったかえでは、善鸞に、この世を去ろうとしている父親を安心させるために仏を信じていると言うよう頼む。

 

 親鸞には、曼荼羅華がふり、美しく荘厳な浄土が見えてきた。

「お前は仏様を信じるか」「‥‥」「信じるといってくれ。最期に安心を与えてくれ。」「‥‥」

一座緊張する。勝信は蒼白になる。

 自分の気持ちを偽ることのできない善鸞は、苦悶し絶望的に「わかりません‥‥きめられません。」といって救いを拒んだ。

 親鸞は絶望し、一座動揺する。

 しかし、親鸞の表情は次第に穏やかになり、「それでよいのじゃ。みな助かっているのじゃ‥‥善い、調和した世界じゃ。」

といって魂は極楽浄土にかえっていった。

 


*     *     *     *

仏を信じないという善鸞との対立を描いたのは、親鸞の思想の限界や、お互いに頑固な父子の姿も見ることができ作品に緊張感と深みを与えており、完全調和でなくてよかったと思う。


 

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